沿革

沿革内容
1973年 創業者 菅野東彦が松戸に(株)東陽パッケージを興す。
「音響機器」「精密機情報器」「自動車部品」の緩衝包装分野で設計試作、包装試験、製造販売にわたる一貫メーカーとしての歩みを始め今日に到る。
1979年 日本スチレンペーパー(現(株)JSP)の厚板(ミラブロック)の加工、製造を始める。
病院用マットレス(現パラマウントベッド)の製造に関わり、その後の約20年間に130万台製造。
1980年 「ライスター」熱融着機を開発。ブロック熱融着加工技術に画期的な成果を挙げる。
その後も何度かの改良を加え、今日も稼動しており、全国的に限定的に10数台の販売をした。
1983年 プラスチック段ボールによる通箱の製造分野に乗り出す。
1985年 健康器具(ツボヘルサー)の基本部品としてプラスチック段ボール(6mm 1600g)の加工技術が採用され今日に到る主力製品の一つとなる。
1989年 千葉県八街市に千葉工場を立ち上げ、ここでチェッカーマット・ベースブクミの製造拠点とする。プラ段とウレタンフォームのゴム系ホットメルトによる自動接着ラインは革新的な加工技術であり、今日に至っている。
ゴム系ホットメルトというのは当時日本にはなかった。
1990年 松戸工場にてスポーツ用品メーカーの柔道畳の製造を受注し、その後10年間に約4万畳の柔道畳の製造にあたる。
1993年 宇部日東化成と共同開発による折り畳式薄ダタミの製造を始めたが、バブル崩壊後の消費者の「縮み指向」とぶつかり、成功には到らなかった。
超音波ウエルダー自動機等を取り入れた優れた製造工程であり製品であったと思うが、惜しい製品であった。ウエルダー融着機として機械の一部は活用された。
1999年 チェッカーマット・柔道畳の製造が終わり、経営上最も厳しい時期となった。
平成12年千葉工場売却、松戸工場に集約する。
創業の始めに戻り、包装材加工に専念し経営の原点に回帰、再生に努力した。
2003年 社業も順調に推移し、この頃から特に自動車関連部品通箱等の物流分野に遅ればせながら参入し成果を得た。
2007年 代表取締役交替 創業者 菅野東彦が退任し、小濱浩巳が新たに就任し今日に到る。